20代で7社の転職を経て企業再生の中の人のブログ(旧:AB型企業内自由人ムライの万華鏡)

大手シンクタンクやWebサービス会社、外資系コンサル戦略部門を経て、今は流通業の再生に中の人が日々の日常について話します。尚、本ブログの投稿内容は会社とは一切とは関係なく、一個人の見解として記述いたします。

「中庸」を見直す

近況  

一回しれっと
カウントダウンを入れましたが
11日は僕の誕生日でした。

Facebook等で50を超える
お祝いメッセージを頂き、
皆さまには感謝しております。

引き続き、ご指導ご鞭撻のほど
よろしくお願い致します。

今日の本題 

誕生日ということで

近況にも記載しましたが、誕生日
メッセージを多くの方から頂き
誠に感謝申し上げます。

また、この世に生をくれた
父と母にも感謝申し上げます。
(そんな日に熱出してすみません。。。)

そんな日ですので、僕の名前から
本日は物事の取り組み方について
見直してみたいなと思います。

「中庸」という言葉が意味するもの

僕の名前は「中庸」(ちゅうよう)
という言葉から由来をうけています。

この「中庸」とは、
儒教の中で特に重視される四書
という4つの書籍の中の1つに
含まれる本のタイトルでもあります。

自分の名前の由来でありながら
これまで読んだ事が無いのは
お恥ずかしい限りですが、その意味は

1 かたよることなく、常に変わらないこと。
過不足がなく調和がとれていること。
また、そのさま。
「―を得た意見」「―な(の)精神」

2 アリストテレスの倫理学で、
徳の中心になる概念。
過大と過小の両極端を悪徳とし、
徳は正しい中間(中庸)を発見して
これを選ぶことにあるとした。

 出所:goo辞書

いま踏まえるとこの意味を
取り違えていたなーと感じています。

どの水準で調和がとれているのか

昔の僕は、今の自分を水準に
「調和」をとれた状態を目指して
いました。

調和というよりは、
バランスといった方が考えが
近いかもしれません。

しかし、それだといつまでたっても
自分の殻を破れない、今出来る範囲に
終始してしまっていたなと感じています。

木の年輪も年の経過と共に大きくなって
いきますが、それと同時により太い幹と
なって安定感が増してきます。

そう考えると、その調和にも水準という
ものがあるように感じています。

中庸を目指すのであれば、
太く大きくな輪を作って
大木のように安定感のある人間に
なりたいなと思います。

しかし、その大きな安定感を
持つには、自分自身でまずは
外に一歩「えいやっ」と出ないと
基盤が広がって行きません。

右に一歩、左に一歩と今の領域を
一歩ずつでながら、気づいたら
より広範な土台が出来ているという
のが実態に近いのだと思います。

そんな大木を目指してこれからも
頑張って行きたいと思いますので
皆様、引き続きよろしくお願致します。

今日のまとめ

・調和というと、今の自分の出来る範囲
 でバランスを取りがち

・しかし、木の年輪も太く大きい方が
 安定するように、より自分自身が
 成長して行かなければ、その調和の
 次元も低いままに終わってしまう

・そうした現状を打破するためにも、
 自分の殻をやぶるべく、「えいやっ」
 の精神で右に一歩、左に一歩新たな
 挑戦を続けるべきではないか